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中国民主党(ちゅうごくみんしゅとう)は、 * 1960年に台湾において設立が計画された政党。関係者が台湾国民政府当局により逮捕され、同党の設立は実現しなかったが、第二次世界大戦後の台湾民主化運動における先駆的な事例として位置づけられている。 *1989年に台湾政府内政部に政党として登記された政党。中国民主社会党の一派が結成した党で、上記の政党とは全く関係が無い(詳細は中国語版ウィキペディア参照)。 ---- ==1960年の民主党== 1960年5月4日、雷震は雑誌『自由中国』において「我々にはなぜ、強力な反対党(野党)が必要なのか」と題した文章を発表し、野党を政治参画させ、中国国民党政権を牽制する必要性を説いた。同5月18日に検討会が開かれ、「地方選挙改進座談会」が組織され、野党の結成に備えた。雷震を招集委員とし、李萬居と高玉樹が共同でスポークスマンを務めた。7月から8月の間に4回の座談会が開催され、政党の名称を「中国民主党」とすることが決まり、また李萬君、郭雨新、高玉樹、楊金虎、許世賢、齊世英、夏濤聲等が新たに参加した。しかし、同9月4日,雷震、劉子英、馬之驌、傅正らが逮捕され、軍事法廷において「反乱勢力を加害、反乱を扇動した」との名目で10年の禁固刑が言い渡された。雷震は1970年に刑務所を出たが、その後も特務警察の監視を受けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中国民主党 (中華民国)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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